メディアリテラシーとマスク2枚の話

ツイッターにちょろっと思ったことを書き残しておこうと思ったら想定より少し長くなってしまいツイッターで書くにはうるさい感じになってしまったのでブログに。

 

 

 

 

 

以前よりメディアリテラシー概念って実は危険なものなのでは? と思ってたけどマスク2枚の件で改めて思ったので書いておく。


マスク2枚のやつはそれが発表された日はうわーっと批判の声が盛り上がり、そして翌日には実は政府は様々な対策をしている、マスク2枚だけではないという話が拡散されるというふうにネット世論が動いたのだけれど、ここでは後者を批判する。


マスク擁護派の主張は政府はマスクの増産体制を準備していたり医療機関へのマスク配布を行ったりしていてマスク2枚の配布以外何もしていないということはないというものなのだけれど、これによって反論できるのは「政府はマスク2枚の配布以外一切何もしていない」という主張だけ。実際にはコロナにより休業を余儀なくされた事業者をどう支えるかとかそもそも金配らなきゃ自粛要請されたとこで働くしかねえよという話があって、だから個人向けの補償が必要だとなっていたときに飛び出てきたのが例のマスク2枚だったからみんな怒ったわけで、医療機関にマスクを配ってるというのは個人向けの補償ではないので関係がありそうでよくよく考えると反論になっていない。効果が薄い施策に金かけるんじゃねえよという批判に対してもやっぱりこれは反論にならない。


当然のことながらマスク2枚を批判している人たちも政府が他のコロナ対策を一切していないなんて思ってはいないわけで、そこで「政府はマスク2枚の配布以外何もしていないなんてことはないんです!」と言い出すのはいわゆる藁人形論法というやつ。

 

で、ここで恐ろしいのはマスク2枚を批判していた人たちはいかにも感情的に噴き上がっているように見えるのに対し、マスク擁護派は冷静に事実に基づいて話しているように見えるということ。だから、マスク擁護派の意見に同意するというのは自分が情報強者であるという感覚を与えてくれる気持ちのいいものになっている。何も知らずに噴き上がってる愚民どもと俺は違うんだぜ、と他人を見下させてくれる言説はすごく魅力的。


しかしそういう魅力のある言説が正しいのかというと別にそんなことはないわけで。そして、これまでのネット言説もそういう魅力で人を惹きつけて狂わせてきたところがあるんじゃないかなーというのが自分の考え。

 

つまり、マスコミは捏造や偏向ばかりだと攻撃する。そうするとその言説を受け入れた人は俺はメディアリテラシーがあってマスコミに流されてる情弱どもとは違うんだぜ、という気持ちのいい自己認識を得る。そうなると既存メディアへの不信感情が自尊心と結びついた形で強まり、既存メディアから流れてくる都合の悪い情報は捏造や偏向として処理され、更に既存メディアへの不信感情は強化される。このセルフ情報遮断によってご都合主義的に歪んだ認識から出てこれなくなった人間が結構な数生まれているのではないかなと。しかもこれ、他人を見下したい欲望が燃料だから自分は優秀だと確信する根拠のある学歴や社会的地位の高い人もハマりやすいんじゃないかなーと。(おわり